一つのトラウマ〜純(仮名)編

哀永克樹


21世紀初期−私は東京にいた。

目が覚めたのは、薄暗い押入れの中だった。
体が痺れているような感覚だったが、それは手足が不自由だったからかもしれない。
手足は−縛られていた。
押入れの隙間からの光で、目の前の怪獣が笑っている。
それをうつろに見つめながら壁に寄りかかると、色々なことが思い出された。

例えば、家族のこと。
外から見れば平和だが、実は家庭内暴力にあっていたこと。
優秀な兄に比べて、自分が劣っていたこと。
それを責める母親と、何も言わない父親。
親に口答えすれば怒られたため、無口だったこと。
近所からは「いい家族ね」と言われて、その度にため息をついていたこと。

例えば、学校のこと。
無口なため、カツアゲを喰らったこと。
いじめにも、もちろんあったこと。
友達と呼べる人も…一人はいたか。いなかったか。

会社に入社(面接でよく通ったと思うが)し、上司のウケが良かったこと。
それが顔と体だけだったと知ったこと。
関係を求められ、断ったらクビにされたこと。

なんか、どーでも良かった。
タバコも酒も非行にも走らず、目の前のことをこなし、ただ生きていた人生。
私の人生、こんなもんだったか。

そんな事を思っていたら、急にバタバタッという音がし、いきなり押入れが開かれた。
眩しい光が目を刺す。
「あ・・・・・・」
声と共に、顔に影がかかった。
細目を開けると、そこには思春期とおぼしき細身の少年が学生服を着ていた。
自分を見ている。しかも、口を開けたままだ。背後のモーニング娘が笑っていた。
しばらくしても進展がなさそうなので、言ってみた。
「なに?」
すると少年は、驚いたように目をそらし、動揺し始めた。
「えー…っと…」
そういや、私はなんでここにいるんだ?どーでもいい人生だが、それは気になる。

確か、昨夜は渋谷を歩いていたと思った。
ナンパして来る奴がやたら気に入らなかったから、断り続けるのも疲れたし、上野へ行って不忍池で休んでたっけ。
コンビニでジュースを買って、池のベンチに座って、水面を見て…落ち着いて…あれ?そこから先の記憶がない。
なんか、背中に激痛が走ったような…
そういや、手足縛られてたっけ。…服は着てるよな。
・・・・・・・・・・・もしかして、拉致られた?

なら、少年が動揺するのもわかる…って、なんで拉致した奴が動揺するんだ?
フツーは私が動揺するんだろ!
「キミ…」
少年の声で、思考が止まった。
「?」
「大丈夫?」
意味がわからなくて、少年の顔を穴が開くほど見つめてしまった。
すると彼は、真っ赤になり目をそらした。
おやおや、純情だねぇ。
「その…体…、大丈夫?」
「体?」
「スタンガン、使ったから…」
「スタンガン…?」
「使って…」
つまり、上野で休んでる私を、スタンガンで気を失わせたってことだ。
うーん、きっと無事じゃないぞ。
だが、体は意に反して無事そうだった。
「手足縛られてるからわからないけど、多分平気。」
飛んでいる虫をも落とす笑顔(自称)を浮かべた。すると、少年は耳まで赤くなった。
「そう、良かった…」
消え入りそうな声でそう言うと、大きく深呼吸していた。
ところで…
「私は、何でここにいるの?」
「!」
彼は突然、体をすくませ、すまなそうにこっちを見た。
「…怒ってる?」
「怒る?なんで?」
「だって…」
そうか、普通の世界じゃ拉致られたら怒るもんなんだな。
「じゃあ、怒ろうか?」
「え、えーっ?!そ、そんな…」
「ウソだよ。怒らない。」
少年の顔が七転八倒しているのを見たら、面白くなって笑った。
少年は安堵のため息をついている。
「からかわないでよ…」
しかし、よくよく考えたら妙な話だ。
「君が、ここに私を連れてきたの?」
すると、彼は首を横に振った。
「ボクじゃない。兄さんなんだ。」

「兄さん?」
少年は目をそらし、語るように話し始めた。
「今は会社に行ってるけど、夜になったら帰って来る。
昨日、いつもより遅く帰って来たと思ったら、キミを抱えてたんだ。『スタンガン、借りたぞ』って。
で、ボクに『面倒見ろよ』って…」
「『面倒見ろよ』って…言われても、困るよね…?」
「う、うん。」
どうやら少年は、予想外の私の反応に戸惑ってるようだった。
「ボクは、兄さんが何を考えているのかわからない。キミを連れて来た理由も知らない。
ただ、兄さんが怖くて…キミを逃げ出さないようにするのが精一杯だった。」
「兄さんが…怖い?」
言葉を彼は無視した。
「学校へ行って、気付いたんだ。キミの口にガムテープを貼るのを…。」
「ガムテープ?」
彼は信じられないように私の顔を見た。
「だって、叫ばれたら困るだろ…」
「・・・・・・・・・・あっ!そーだね!」
そういうことか、だから彼は走ってこの押入れまで来て、私を確かめたのだ。
そんな様子を、彼は一言でまとめた。
「キミって・・・・天然ボケだね。」

少年と話すうちに、だいたいの事情がわかって来た。
このアパートには兄弟二人暮しであること。
両親は昔に自殺しており、彼には両親の記憶がないこと。
兄とは10歳も離れており、最近、異様な行動をするが止められず、怖がっていること。
特にこの頃は様子がおかしく、会話らしい会話をしてなかったこと。
ようやく会話をしたと思ったら、私を連れて帰ったこと(こんなことは始めてだと言っていた)。
朝、目が覚めたら兄の姿は無く、とりあえず私を押入れに入れて学校へ行ったこと。
「で、どうしたらいいか、わからないんだ…」
「そうだよね。私が帰っちゃったら、兄さん怒るだろうしね…」
手足を縛られたまま、私は普通に彼と会話をしていた。
どうしたら良いか、先を考えていると彼は私の顔をじーっと見て言った。
「キミ、それでいいの?」
「?」
「だって…その…家に帰りたくないの?」
たっぷり一呼吸分はあっただろうか。ちょっと考えたが、答えはすぐに出た。
「家に帰ったってやることないし、会社だってクビになったし。別にいいんじゃない?」
笑顔を向けると、少年は不安と安堵が入り混じったような表情をした。
「まあ、そんなに私のことは気にしなくていいよ。」
それより、この少年が気の毒だ。
「兄さんのことは会ってから考えればいいし、暗いこと考えてばっかりじゃつまんないしね。」
そう言いながら、首を左右に振った。骨のほぐれる音がした。
「あ、ゴメン…」
彼は手足の縄をほどいてくれた。
「いいの?」
「キミに逃げる意思がないんじゃ、こんなの無意味だよ。」
甘いなー。口先だけで、本当に逃げられたらどーするんだよ。そんなことはしないけどね。

少年と私が夕飯(彼が作った)を食べていると、兄が帰って来た。
私を見るなり、目をむいて突進し、少年を殴った。
「なななななななななな!」
怒りで言葉にならないようだ。確かに、コイツは怖い。
また少年を殴ろうとしているので、その腕をつかんだ。
「やめないと、叫ぶよ。」
彼は目をむいた状態で私を見ると、首を絞めた。
「うっ」
突然の事で身構えることも出来ず、声も出せない。すぐに気が遠くなる…寸前で体が地に落ちた。
喉がつぶされたように痛く、咳き込む。ああ、酸素がこんなに大切とは。
その反面、目は少年にむいていた。彼のか細い声が聞こえる。
「だ、大丈夫だよ、彼女は逃げないって言ってくれたし…」
「いくら口で『逃げない』って言われてもなぁ、カンタンに信じんなよ!人なんて口と考えてることは違うからな!」
うーん、もっともだ。だけどそれを信じてばかりが人生じゃない。
「それは…ゲホッ、本当。現に、私、逃げてない…」
よろけながら立ち上がると、反論した。言葉がうまくないのは生まれつき。
兄は少年と私を交互に見たが、標的を私に定めたようだ。いきなり顎をつかまれた。
「どうかな。今、逃げ出さなくてもチャンスを見るってテもあるからな。」
彼の手が上がり、また呼吸が困難になった。呼吸の音が耳から聞こえる。苦しみで顔が歪む。だが抵抗はしなかった。なぜか。
それを見た彼の手が緩み、私の体は下に崩れ落ちた。頭がくらくらする。また、気を失いそうだ。
すると、ふっと温かさが私を包んだ。彼が私を抱きしめたのだ!
だが抵抗も出来ず、ただ息を整えるだけでしかなかったが、彼の行為にはある種の愛情がこもっていたように感じた。
その温かさを感じながら、私は気を失った。

そんな、奇妙な生活が始まった。
傷の手当ては少年がしてくれたようだが、本人も頬に大きな湿布が貼られていた。
殴られた個所が大きく腫れているらしい。なかなかの美少年も台無しだ(ある意味、良いかも)。
その貼り方が無茶苦茶だったので、直してあげようと思ったが出来なかった。
理由の1つに、私は再び縛られていたこと。
その2に、言葉を禁じられていたこと。
その3に、私の居住場所が兄の部屋となってしまったこと。
それにより、私の自由は奪われてしまったのだ。
目が覚めた時、少年は部屋から出て行った。代わりに兄が来た。
「お前、名前は。」
口のガムテープを剥がしながら聞かれた。彼の背後のテレビに、再選が決まった総理が映っていた。
「小泉…純。」
手足を縛られたまま上体を起こすと、そう答えた。本名なんぞ、何の意味があるだろう?
「そうか…。」
彼はガムテープを持ったまま、しばらく考えた。体育会系の体つきとは似合わぬ、悲しい表情だった。
少なくとも見た目には、『乱暴な兄』と言うイメージはない。むしろ、弟とキャッチボールをしてくれるような、好印象な顔つきをしている。
顔と性格は一致しない、と言うが、この人もそうだろうか…?
彼はちらっと私を見て、視線が合った。が、再び目を落とした。
何かを振り切るように首を振ると、私を抱き抱えて押入れに入れた。
ぴしゃっとふすまが閉められる。
その行動に戸惑い、どうしてよいのかわからず、混乱していると、ふすまの向こうからすすり泣きが聞こえて来た。
理由はわからないが、彼は悲しいらしい。そして、それは私に関係している…?
ともかく、すぐにここを離れるわけに行かないようだ。ここにいる。そう決めた。

しばらくして、兄がふすまを少し開けて言った。
「俺のことは、孝士(タカシ)と呼んでくれ。何かあれば佑(ユウ)に言えばいい。ただし、余計なことは言うな。それだけだ。」
兄が孝士、少年が佑という名前らしい。…記憶を探ったが、聞き覚えはなかった。
ふすまが閉められる前に、言った。
「私と、どこかで会った?」
何か知らない恨みでも買われて、こんな事態になっているのかと思ったからだ。だが、彼を刺激してしまったようだ。
「余計なことは言うなと言っただろ!寝ろ!」
怒鳴られ、ふすまは乱暴に閉められてしまった。…続けて、押し殺すような泣き声が聞こえた。

その声を聞きながら、彼に聞こえないように、静かにため息を付いた。
どこかで出会い、フッたのならわかる。しかし、顔に見覚えは無い。
ナンパされてたとしたら、大の男が泣くぐらいの出会いはしていないはずだ。
会社?たった1ヶ月しかいなかった会社で片思いされたのは…無理があるか?
学校…友達はおろか、いじめにもあったし嫌われてたから、好かれることはないはずだ。
いずれにしろ、自分に関係があるようだ。心当たりはないが、自分自身のことは自分でケリをつけねば。
そう思い、寝ることにした。

朝は孝士が出勤し、佑が学校へ行く順番らしい。
そして夕方には佑が先に帰って来るので、彼は学校へ行く前に純の手足の縄をほどいてくれた。
「逃げないことはわかっているから、外へ出ない限り自由にしていいよ。」
そうしてくれることがありがたかった。風呂にも入りたかったし、布団で手足を伸ばして寝られるのだ。
外に出ても何するわけでもなし、情報はテレビを見れば良かった。
しかも、働かなくてもメシがタダで食えるのだ!それを思えば、夜に縛られようが平気だった。
そんな生活が続いた。
孝士は薄々感づいているようだったが、何も言わなかった。

1ヶ月も過ぎた頃、昼間にいつものようにテレビを見ていると、留守電が入った。
聞くつもりではなかったが、居間にいる限りは聞こえてしまう。相手の男性は、戸惑っていたがこう言った。
「孝士ちゃんも、悲しんでばかりいないで、もう忘れた方がいい。辛かろうが、それがあんたの為になる。
新しい道を見つけて、幸せになって下さい。」
少し訛りが入っていたようだが、男性も悲しんだ末に電話して来たらしかった。
悲しい、かなしい、カナシイ。何をみんな、悲しんでいるんだろう?
そう思った時、突然玄関が開いた!そこには孝士が立っていた。
「あ…」
驚きで動けない。孝士は荒々しく扉を閉めるとスーツの上着を脱ぎ、投げ捨てた。
途端、押し倒された!
乱暴に服が脱がされそうになる。声は上げなかったが、必死で抵抗した…が、彼の力は緩まない。力ではかなわない−!
首に息がかかる。呼吸が荒い。腕を捕まれ、動けない。でも、声は出さなかった。
なにか、感じた。何をだろう。抵抗をやめた。
すると、孝士も動かなくなった。
「くっ…」
私の腕をアザが残るくらいに握り締め、必死に何かに耐えているようだった。でも、落ちる涙は止められなかった。
面と向かって泣かれるのは、これが始めてだった。
そっと、彼の髪に触れた。中途半端に長いその髪は、柔らかかった。
孝士は何も言わず、涙していた。構わず、指先で頭をなぞった。すると、彼の腕から力が抜け、私の体の上でひたすら泣いていた。
まるで、子供のように。
私はただ彼の頭をなでていた。
「・・・・・っくしょう・・・・ちくしょう!・・・・」

「孝士…」
横になったまま、泣き止んだ彼の名前を呼んだ。
「・・・・・」
返事はなかった。
「・・・・・」
悲しむ理由を聞こうとしたが、やめた。代わりに、彼をぎゅっと抱きしめた。
「私には、どんなことかは知らない。でも、孝士が毎日泣いているのは知ってる。…私は、力になれるの?」
ずっと考えていたことだった。この1ヶ月、孝士は何もしなかった。しようとすれば出来ることだった。
暴力を奮うことも、・・・・・・無理矢理犯すことも。でも、しなかった。
自分が何の為に連れて来られたのか。理由もヒントさえもわからない。
自分がどうしてよいのか、わからなかった。
「ちから・・・?」
孝士が顔を上げて目を見た。本当にわからない質問をされているように。それがきっかけになり、私は喋り始めた。
「私が何かをしたんだったら、謝る。でも、本当に孝士のことは覚えていなくて、佑に何かした覚えもないんだ。
過去に何かあったとか、私、頭悪くて…覚えてなくて…その…」
言葉が見つからなくなり、孝士から視線をそらしてしまった。
すると孝士はふっと笑みを浮かべ、私の頭をなでた。
「お前って、本当に変な奴だな。」
「えっ?」
孝士は私の上から移動すると、横に座った。私も肩を並べて座る。
「なんで?」
「犯されそうになった奴が『力になりたい』だの、無断で連れてこられたのに『何かした』だの、フツーじゃ考えられねーぜ。」
「ん?」
「変な奴だよな。」
そうつぶやくと、タバコを1本ふかした。ふうっと一息つくと、首を振った。
「悪かったな。」
ぶっきらぼうにそう言うと、タバコの煙を目で追っていた。

孝士は、少しずつ話してくれた。
「俺には、恋人がいた。会社で野球をやっててな、試合会場で会った。
彼女は他社の応援に来ていたんだ。偶然が何回か重なり、付き合うことになった。」
そう言う孝士の横顔は、辛そうだった。
「もちろん、結婚するつもりでいたし、相手の親にも会った。佑には知らせてなかったけどな。決まったら教えようと思ったんだ。」
「あ、さっきの電話…」
「電話?ああ、留守電が来てたな。アイツの親だろ。携帯に出ないからこっちにかけて来たんだ、きっと。」
「そこまで親しく…」
「よくしてくれたよ、親は。でも、アイツは違ったらしい。」
孝士の声は、ひどく穏やかになった。それでいて、感情がこもっていない。それは…?
「アイツが、交通事故に遭った。」
「−!」
「しかも、俺の親友と一緒だった。」
「え?」
「よくある話だよ。恋人の親友とデキてました、ってのはな。」
「でも、たまたま一緒だったとか、どこかへ行った帰りとか…」
「後半は当たってるな。親友とアイツは、海外旅行へ行って事故に遭ったんだ。これは偶然じゃないだろ?」
私は何も言えなかった。
「俺には会社の出張だって言ってでかけたんだ。事故った車には、二人一緒に乗っていた。
葬式に集まった連中の話じゃ、二人は付き合っていたんだと。俺に黙って。」
「そんな…」
「で、海外で楽しく遊んでたら、死んじまいましたってなトコだ。」
言い切った後、孝士はまた泣きそうだった。
これで繋がった。佑は何も知らされていなかったから、急変した兄に何が起こっているのかわからなかったわけだ。
初対面の時の人間不信な言葉、毎日泣いている理由…でも、私は?
疑問は浮かんだが、辛そうにしている孝士を追い詰められない。だが、彼から切り出された。
「孝士…」
「お前には、悪いことをした。」
「え?」
泣きはらした目で私を見つめた。その声は、ひどく優しい。
「池で見た時、アイツかと思ったんだ。優希かと。声をかけようと思った。でも、半面、裏切ったアイツを許せなかった。
そして、誰にも奪われたくなかった。だから、隙を見て、あんなことを…」
「・・・・・・・・・・優希さんと、私が似ているから、連れて帰ったと?」
つまり、私自身に問題はなかった、と言うことだ。
「もう、誰にも裏切られたくなかった。どうにも、出来なかった。俺自身、わからなかった。俺は何を・・・・・」
裏切られたくなかったから閉じ込め、逃げられたくなかったから縛り、でも私は優希さんじゃない。
優希さんと私をダブらせたけど、心のどこかじゃ違うとわかっていたから何もしなかった。
でも、自分から私を去らせることは辛く、いなくなれば孤独が襲い、私がいることで正気を保っていた?
それほどまで、優希さんのことが好きだったってことだ。
「俺、本当に何をしていたんだ?君を拉致し、縛り、犯そうとして…何を?」
現実に返った孝士は、混乱していた。そう、本当はこんなことをする人じゃないのだ。でなければ混乱などしない。
その助けを、私に求めた。腕をつかまれ、必死に求めた。
「純、俺は君に何をした?一体何を…」
私は、孝士の目を見て(潤んでいたと思うが)微笑んだ。
「何もしてないよ、孝士。食事を与え、風呂に入り、私に休息を与えてくれた。」
「でも…」
「私は、家に帰りたくないんだ。失業中だし、どうしていいかわからなかった。」
「そんなワケないだろう?俺が…俺が…」
「本当だよ。佑と孝士がいない間はここでのんびり出来たし、家に帰れば孤独。アパート一人暮らしだし。」
「ウソだ!」
「ウソで言ってると思う?孝士がどんな意味でここへ連れて来たにしろ、私にとっては良いことだったんだよ。」
「・・・・」
「孝士の考えなんて、私にはわからない。でも、私はここから逃げなかった。それが意味するのは?」
「・・・・・・?」
「イヤだったら、逃げ出すでしょ?」
にっこり微笑んだ。孝士は更に何かを言おうとしたが、やがて目に涙がたまり、泣き崩れた。
そんな彼を、抱き締めた。
「もう、いいんだよ、孝士。もう…」

かくして、私に起こった事件は終わった。
普通ならここで孝士と恋愛、なんてなことになるのだろうが、そんなことにはならない。
それこそ人権無視ではなかろうか?孝士は優希さんがまだ好きなのだから。
孝士はどう思ってたのかわからないが、私にはなんとなく友情と言うものがわかったように思う。
あれから孝士が落ち着くまでいて、頃合を見て去った。
『いつまでもいて良い』とは言われたが、そうそう図々しくもいられない。
私の人生も、捨てたもんじゃないかな。
頑張らねば。

END


2003.09.24






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